医薬分業元年

昭和四十七年五月、健康保険法の一部改正案等を含む医療保険抜本改正案が閣議決定され、第六八回通常国会に提出された。 その医療保険改革法案において、医薬分業に関しては、健康保険法により、①医薬分業を行う地域を政令で指定する、 […]

地域を指定した強制分業法案?

国民健康保険法、健康保険法の大改正が行われ、昭和三十五年から三十六年にかけて、全ての国民に公的保険への加入を義務付ける国民皆保険体制が整備された。 その一方、厚生省は「我が国の医療制度は明治初期に確立されたもので、その後 […]

「物と技術の分離」を目指す新医療費体系を巡る議論

医薬分業法は、昭和三十年一月一日から施行されることとなっていた。しかし、医薬分業法の施行を直前に控え、国会では同法施行を無期延期しようとする分業反対派の動きが激しさを増していた。 その一方、厚生省は、医薬分業を前提とした […]

医薬分業を前提とした新医療費制度

医薬分業法の制定、新薬剤師法、新薬事法の制定とともに、日本薬剤師協会、日本薬政会の一つの課題は、昭和三十五年の国民皆保険体制の施行に備えた新たな医療費体系の構築の動きへの対応であった。 連合国最高司令部(GHQ)の勧告を […]

薬剤師法成立

昭和三十三年二月二十一日、日本薬剤師協会代議員会は、薬事法改正を求める次のような決議を満場一致で可決、薬剤師法制定への活動は加速された。 決議 「現行薬事法は医薬品及び薬業の特殊性を無視し、かつ薬剤師の身分に関しては何ら […]

芝八事件 そして薬剤師法の制定へ

日本薬剤師協会(当時)内では、曲がりなりにも医薬分業法が実現したことを受け、薬剤師の身分法である薬剤師法制定に向けての要望が次第に高まり始めていた。当時、調剤の義務規定など薬剤師の身分や職能に関する規定は、薬事法により規 […]

新たな闘いの始まり

昭和三十一年四月一日、医薬分業法は施行された。太平洋戦争終結から一○年を経て、日本は復興への道をひた走り、「もはや戦後ではない」と政府の経済白書は謳い、高度経済成長期の入り口にさしかかっていた。日本薬剤師協会は、医薬分業 […]

医薬分業が辿ってきた道【第一部】~その6~ 最終章

  昭和二十八年、日本薬剤師協会は医薬分業法の円滑な実施を期して、同年の第三回参議院議員選挙において、当時の日本薬剤師協会会長高野一夫を擁立、高野会長は当選を果たした。   だが、その医薬分業法の施行を翌年に控えた昭和二 […]

医薬分業が辿ってきた道【第一部】~その5~ 医薬分業法-悲劇の始まり

 サムス准将が帰国した後の強制医薬分業実施論は、坂を転げ落ちるようにその勢いを失っていく。以下、その経過を見てゆこう。   医薬分業法、すなわち、「医師法、歯科医師法及び薬事法の一部を改正する法律案」は、参議院先議とされ […]

医薬分業が辿ってきた道【第一部】~その4~ 強制医薬分業法案 国会へ

  サムス准将の勧告は、「法により、強制医薬分業を実施する」というものであり、政府は医師法、歯科医師法及び薬事法の一部改正案(いわゆる医薬分業法案)を国会に提出した。   これに対し、日本医師会は、法による強制医薬分業に […]

医薬分業が辿ってきた道【第一部】~その3~ 山は動き始めた

  連合軍最高司令部(GHQ)の強制医薬分業の勧告は、当然、国会で取りあげられた。昭和二十四年十二月一日、第六回国会衆議院厚生委員会において、次のような趣旨の質疑応答がなされた。   川崎委員:九月十三日、GHQから日本 […]

医薬分業が辿ってきた道【第一部】~その2~ クロフォード・F・サムス准将

話しは、数年遡る。昭和20年8月、終戦。連合軍による占領下に新しい日本に向けての再出発が始まった。昭和22年5月、新しい日本国憲法が制定され、新憲法に基づいてあらゆる分野にわたって法令制度の見直しが開始された。新憲法第2 […]

医薬分業が辿ってきた道【第一部】~その1~

「現在行われておりまする政治攻勢による分業反対は、これは国会に如何なる影響を与えたか私は存じまぜん、。併しながらかかる分業反対の議論を見ますと、殆んど学問的には薬学抹殺、法律的には薬剤師抹殺でございます。(中略)医薬分業 […]