よもやま話

<2016年12月>

医薬分業が辿ってきた道【第一部】~その2~ クロフォード・F・サムス准将


話しは、数年遡る。昭和20年8月、終戦。連合軍による占領下に新しい日本に向けての再出発が始まった。昭和22年5月、新しい日本国憲法が制定され、新憲法に基づいてあらゆる分野にわたって法令制度の見直しが開始された。新憲法第25条第2項、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及ぴ公衆衛生の向上及ぴ増進に努めなければならない。」の規定に基き、昭和23年、まず医療法、医師法、薬事法、予防接種法等々の衛生法規が新たに制定された。昭和22年8月、米国社会保障制度調査団が来日、調査団は、翌年7月「社会保障制度への勧告」を行った。この勧告をベースに昭和25年10月、社会保障制度審議会が政府に新制度の実施を勧告、昭和35年、国民皆保険制度が実現する。

一方、昭和24年7月、米国薬剤師協会使節団が来日、日本の医業薬業の実情の調査を行った。同年9月13日、使節団は、連合軍最高司令部(GHQ)マッカーサー元帥の承認を得て、日本政府に対し「強制医薬分業の実施」を勧告した。

ところで、医薬分業を含み、日本の医療制度改革政策を強力に推進した一人のGHQ高官がいた。名を、クロフォード・F・サムス准将という。GHQ公衆衛生福祉局長(軍医)であった。サムス准将は、GHQの占領政策を成功させるため、学校給食の開姶、伝染病対策、医療制度の改革、保健所制度の拡充などの施策の実現に力を尽くした。この人物こそ、新憲法第25条の草案者であったとされる。