医薬分業を前提とした新医療費制度

医薬分業法の制定、新薬剤師法、新薬事法の制定とともに、日本薬剤師協会、日本薬政会の一つの課題は、昭和三十五年の国民皆保険体制の施行に備えた新たな医療費体系の構築の動きへの対応であった。

連合国最高司令部(GHQ)の勧告を受けて、厚生省は、昭和二十五年八月七日、強制医薬分業制度導入の是非を審議する臨時医薬制度調査会とともに、医薬分業に伴う新たな診療報酬体系を審議する臨時診療報酬制度調査会を設置した。そしてまず、同調査会が新診療報酬体系についての審議を開始した。

昭和二十六年一月、同調査会は、「診療報酬は医師の技術料と、物の価格に分離することができる」とする答申をまとめた。これを受けて、臨時医薬制度調査会は同年二月、強制医薬分業の導入を賛成多数で可決、答申した。そして、紆余曲折の末、昭和三十一年四月、医薬分業法(事実上の任意分業とはなってしまったが)が施行されることとなったことは、既に記したとおりである。

さて、診療報酬制度調査会の答申にある「技術と物の分離」の考え方に立つ「新医療費体系」案について、中央社会保険医療協議会において、昭和二十九年から三十年にかけて審議が重ねられた。しかし、開業医師の収益低下を懸念する医師側委員の反対は強く、中医協はしばしば審議を停止、結論を得ることができなかった。このため臨時医療保険審議会が審議を受け継いだが、ここでも審議は難航、審議会の機能を停止するに至った。

そして、昭和三十二年十二月に至り、ようやく中医協は新医療費体系に関する答申を得、昭和三十三年六月、新医療費体系(健康保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法)が告示された。この新医療費体系により、甲・乙診療報酬点数表(現在は甲乙一本化されている)、調剤報酬点数表が制定され、以下のような、今日の医師の処方料(処方せん料と処方料の区別はまだなかった)、保険薬局の調剤報酬の原型が制定された。

●甲表点数表(主として病院)
院内の場合:薬品代+調剤料
院外処方せんの場合:点数なし(無料)
●乙表点数表(主として診療所)
院内の場合:薬品代+調剤料+処方料
院外処方せんの場合:処方料
●調剤報酬点数表
薬品代+調剤料

この新医療費体系を巡る激しい論戦の中で、日本薬剤師協会、日本薬政会は、終始、新医療費体系の早期実現を目指して活動を続けた。日本薬剤師協会、日本薬政会は、新医療費体系に強硬に反対する日本医師会、日本歯科医師会とは立場を異にし、新医療費体系を支持する健康保険団体連合会、国保中央会、全労、病院協会と共同して、自民党、厚生省、閣僚等に対し、新体系の即時告示を求めて運動を展開したのである。医療担当者側の中で、独自の選択を行った当時の日薬、薬政会執行部の苦悩はいかばかりであっただろうか。