よもやま話

<2016年12月>

医薬分業が辿ってきた道【第一部】~その5~ 医薬分業法-悲劇の始まり


 サムス准将が帰国した後の強制医薬分業実施論は、坂を転げ落ちるようにその勢いを失っていく。以下、その経過を見てゆこう。

  医薬分業法、すなわち、「医師法、歯科医師法及び薬事法の一部を改正する法律案」は、参議院先議とされ、昭和二十六年三月三十日の厚生委員会で、厚生大臣が、提案理由を説明した。法案の骨子は次のようなものであった。

一、医師、歯科医師は診療上患者が薬剤の交付を受ける必要があると認めたときは、処方箋を発行しなければならないこと。
二、薬剤師による調剤の原則に対し、例外として医師、歯科医は診療上特に必要があるとされる場合及び薬局の普及が充分でない地域で診療する場合、それぞれ省令の定めるところによつて自己の処方箋により、みずから調剤することを認めること。
三、薬剤師は正当な事由がなければ調剤を拒み得ないこと、及び薬剤師は、医師、歯科医師又は獣医師の処方箋によつて調剤すべきこと。
四、一部を除き、実施は、昭和二十八年からとすること。

  このように政府案は、明確な「強制医薬分業法案」であった。法案の提案理由説明が行われたこの日、三月三十日、おりから日本医師会では定例代議員会が開かれていた。その会議を中断して、全代議員が国会に赴き、医薬分業法案反対を請願した。

  五月七日、参議院厚生委員会で議論を開始、約一カ月にわたり急ピッチで審議が行われた。六月一日、審議は終了し、採決が行われた。だが、採決されたのは、審議の過程で次のように政府原案を大幅修正したものであった。

一、医師は、患者に対し治療上薬剤を調剤して投與する必要があると認める場合には、患者又は現にその看護に当つている者に対して処方箋を交付しなければならない。但し、省令の定めるところにより処方箋を交付することが患者の治療上特に支障があるとされる場合は、この限りでないこととする。
二、患者又は現にその看護に当つている者が特にその医師又は歯科医師から薬剤の交付を受けることを希望する旨を申し出た場合は、処方箋を交付しなくてもよいこととする。
三、法律の施行日を昭和三十年一月一日からとする。

  厚生委員会は、このような修正案を、全会一致で可決した。参院から法案を引き継いだ衆院厚生委員会も、わずか二日の審議をもって、参院修正案どおり全会一致で可決した。衆議院審議の参考人として呼ばれた高野一夫日薬会長(当時はまだ議員ではなかった)は、苦渋の陳述を行った。

  高野参考人:この修正案は、いわば分業賛成論者側と反対論者側が、双方から一歩ずつ歩み寄つてでき上つた修正案であります。従つて一面において満足する点もあれば、反面不満な点も双方ともにあることは、これは当然なことであります。しかしながらわれわれは、(中略)この際七十数年にわたつた分業の闘争の歴史に終止符を打ちたいという考えのもとに、この修正案に同意を表したいと思うのであります。

  法案は骨抜きされ、実施は二年先延ばしされた。だが、分業法案は、更に骨を抜かれていく。